2006年01月27日

容疑者Xの献身:確かに独創的なトリック、で、それがどうした?

これは本書の序盤でわかることなので伏せておいても意味が無いので、素直に内容をばらすと、本書は好きな女性の犯罪を隠すために自ら泥を被る「純愛」男の話である。今まで人間が描けてないという理由で直木賞をもらえなかった東野圭吾に直木賞をもたらした作品なのだからどんなものなのだろうかと期待して読み出した。たしかにこれは佳作である。このトリックに前例があるかもしれないが、すべての要素が無駄なくトリックをかっこよくキメルために奉仕しているし、探偵が犯人を尊敬しているからこそトリックを見破ることができたというのもまたいい。

だけどこれが世間で言われているような傑作であるかといえば、やはり否というしかないのだろう。小説の中ならどこにでもいそうな、でも実際はあんまりいない、紋切り型の単純な人物ばかり。たしかにそういうやり方はトリックを際立たせる役割があることは確かだし、私とてそれに突っ込むような野暮な性格は持ち合わせていないのだが、これを読んで「純愛です、感動です」というのはいかがだろうか。図式としての「純愛」はたしかにあったし、作者の提示する読み方(なるものがもしあるのなら)はそうだろうけど、私は正直あまり心に感じるものが無かった。

そして二つの意味でまったく救いのないエンドには呆れた。お涙頂戴と犯罪は罰せ無ければいけないという考えがなんの考えもなくただ配置されていること以上の何にもなさそうなエンディング。まったく人間が描かれていないことで有名(?)な綾辻行人の「十角館の殺人」あたりのラストのほうがよっぽどこれまで絶え間なく提示された類型的な「人間」の典型から逃れた(あれはあれで漫画チックなのだが…)

「人間を描けている」要素はたくさんあるけど、これじゃただ数式を並べ立てているのとなにが違うのだろうか、と私は思ってしまう。東野圭吾最高傑作はやはり「悪意」なのだろう。無論、この作品のトリックがダメだと言っているわけではない。全体的な完成度も、エンタテインメントとしての価値も、純愛純度も文句のつけようのないものだろう。散々いったけど「人間」を描けていたのもある意味事実である。だけどそれが「類型」的な、カッコつきの「人間」であると私には感じられる。


それと「同じ人間を二度殺すことはできない」とかいっているけど、警察なめているよね?これって…。


Further Reading
1.「悪意」:私が選ぶ東野圭吾の最高傑作
posted by 白紙状態 at 21:07| ソウル 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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