2006年01月29日

日本探偵小説全集6 小栗虫太郎集:ここまでセカイにたいする悪意を明確に打ち出した小説はそうあるものじゃない

本書は、日本推理小説の歴史に残る奇作「黒死館殺人事件」や日本人は一人も出てこない密室犯罪モノである「完全犯罪」などの小栗虫太郎の代表作を含む。いろんな人によって何度も何度も語られている作品と作者なので、私などに語れることはほとんど何もない。だけどあえて屋上屋を築く無謀さを発揮するのなら、それはそれでこの偉大なる滑稽なる作品に一つの賛美歌(供物でもいいけど…それは別の機会のために取っておくとして)をささげることくらいはできるだろう。まず、1933年のことである。

1933年の小栗虫太郎のデビューはある意味伝説的な趣を持っている、といっても有名作家なるものは非凡なるデビューをするのが常であり、江戸川乱歩が「悪霊」の連載中に逃げ出し、それを埋めるはずだった横溝正史が結核で倒れたことによって、代役のそのまた代役と選ばれたのが小栗であった。正確に言うと別名義で、以前作品を発表していたりしたらしいのだが、一応のデビューのこのときの「完全犯罪」からとする。

この中国の片田舎で少数民族の共産主義兵団の将校たちが西洋人の館に泊まる最中に行われた密室殺人を扱っている「完全犯罪」なる短編は、今の読者からしてみるとそんなにおかしくもなんともないトリック&設定なのだが、当時としてはものすごいものとして認められたという。

なぜ「完全犯罪」は日本ではなく、外国(中国)にその背景を置いたのだろうか。この問題に直接答えを出すことはできないが、いくつか仮説を用意することならできる。まず遜来の日本家屋においては「密室殺人」なるものが不可能だといわれていたことが一つの理由だと思われる。まるで「日本語でロック(orラップ)は可能なのか」という論争と似ていて、推理小説が輸入された頃には、完全なる密室の中での殺人なるものが日本式家屋では不可能であるという説が有力だった。なぜなら襖と床下と天井裏で部屋がつながっている日本式家屋は西洋の「鍵」の部屋とは違い密室を・りにくかったからである。だからこそ日本家屋での密室殺人を扱った横溝正史の「本陣殺人事件」や高木彬光の「刺青殺人事件」が高く評価されているのである。

それはもし、推理小説なるものが日本で成立していたら問題にならなかったはずであり、あくまでも「学ぶべき先達」が西洋の大作家たちであったことから、彼我の文化的違いがあったことからその学習がうまくいかなかったことの象徴的な問題である。これで乱歩の小説が本格というトリック中心の見方をするとつまらない駄作であるという例の問題を説明することもある程度できると思う…

だからその違和感を和らげるために舞台とそのディテールを西洋・外国的趣向で埋めるという荒業がでる。日本語のラップがおかしいと思う日本人は英語でラップするしかないじゃないか。(ラップなんてしない人が大半なのだろうけど…)小栗のやりかたは方法論的に正しく、実際に小栗はデビューの次の年に同じ路線の「黒死館殺人事件」という最高傑作をものにする。

無論、「完全小説」という小説が実際そういう理由をもって、中国を背景に選んだのかは分からない。しかし小栗の外国趣味、もっと正確に言うと西洋オカルト趣味はこのデビュー作から現われているし、数少ない彼の本格推理作品の中で日本の白系ロシア人を扱った「聖アレキセイ寺院の惨劇」やハムレット劇の上演をネタにした「オフェリヤ殺し」などに引き揃がれていいる。

徹底的に西洋の意匠を用いたこの「推理」&「密室」小説は、読者としては一回も行ったことのない西洋(っぽい雰囲気)のファンタジー的な効果ももたらす。私たちが通常ファンタジーとよぶ異世界の話、すなわち私たちの世界からいろんなものを除して異質感を出す引き算的ファンタジーではなく、いろんなものを足して足して足して幻惑を誘い、既知を惑わし、彼岸へと誘う足し算のファンタジーである。実際の小栗は「黒死館殺人事件」を書いた後にも関東から外へは出たことがないらしい。晩年にはマレーにも行ったらしいけど。

普通、小説に於ける衒学主義は、主題への導きや雰囲気作りに用いられることが多く、推理小説における衒学主義の代名詞であるS.S.ヴァン・ダインの作品でもそれ以上のことはない。しかしながら作品の流れを壊してまでくどいほど続けられる探偵役の薀蓄は、暴力的とまでいえるだろう。乱歩によると「黒死館殺人事件」は「文学以前の素材の羅列」であり、「作者が彼自身の探偵小説のみならず、世界の探偵小説を、この一作によって打切ろうとしたのではないかと思われる」らしい。

普通、小説なるものは上手なものでも下手なものでも、ストーリとテーマで成り立っていて(学術用語のストーリとテーマとは違うけど…)それらのために作者も、素材も、背景も、登場人物も、ほかのいろんなものも奉仕している。だけど、この作品と作品内の「セカイ」はプロットと装飾(衒学主義のディテールのこと)だけで成り立っている反「推理小説」であり、乱歩が一目で見抜いたとおり「作者が彼自身の探偵小説のみならず、世界の探偵小説を、この一作によって打ち切ろうとしたのではないかと思われるほどの悽愴なる気迫」が確実に内在している。これは確実なる悪意であり、「セカイ」を終わらせようとする気迫がある。

だから彼の絶筆が終戦直後の未完成の長編「悪霊」であったことは、小栗のデビューのきっかけとなった乱歩の「悪霊」とのかかわりだけではなく、その「悪意と気迫」がいったいどこへ至る予定だったのか、それがなぞであるからにして残念であり、また幸いである。だってもしそんな「梟の巨なる黄昏」(By笠井潔)みたいな小説読まされても困るし…、それ読んだらもう他の本読めなくなりそうだし…。


Further Reading
1.「黒死館殺人事件について」:黒死館殺人事件の以上なるまでの薀蓄満載ぶりはここを読むだけでいや!というほどわかります。
2.「昂奮を覚える
posted by 白紙状態 at 23:39| ソウル ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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