2006年03月05日

入隊につき、一時休止とさせていただきます。

半年間で数十冊のレビューを書けたことに満足をしているかといえば嘘ですが、一応の成果をあげることができましたので、くよくよ悔いに浸ることなく、兵役に行ってみたいと思います。休暇とか部隊内でのネット使用などがありますので、ちょこっと更新するかもしれません。時々、のぞきにきてください。
posted by 白紙状態 at 14:11| ソウル 🌁| Comment(44) | TrackBack(13) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

「海をわたる蝶」:童の頃の私はただの童で、今と変わりなくって、すごいもののすごさを知らず…

子供頃、大阪の東住吉区に住んでいた。後にサッカーの長居スタジアムが建てられる長居公園のすぐ前で、当時住んでいた10階建てのアパートの一番上の階から、決して小さくない長居公園の全景が鳥瞰できたことを覚えている。その長居公園には、植物園と自然史博物館があって、私は時々、夏休みなどは、一週間に一回ほど出かけたりした。

大学の頃生物学を専攻した私の母が、自然史博物館の巨大な蝶のコレクションを眺めながら驚嘆したりした。その頃は、まだ私の国には本格的な自然史博物館がなかったから、母には余計、印象的だったはずだ。無論、私は蝶よりは恐竜に興味があったし、大体生物学や博物学に興味はまったくなく、花の名前もろくに覚えられないやつだったので、ただ色とりどりの珍しい植物やややこしい名前をした滅びた種の標本を眺めながら、時間の過ぎ行くのに従順すぎるほど順応していた。

その自然史博物館の蝶のコレクションに深くかかわっていたのが、本書「海をわたる蝶」の著者である日浦勇だった。彼は自然史博物館が長居に移転する時の学芸員であり、蝶の研究者でもあった。本書はそんな彼のフィールドワークを元に、蝶が海を渡り、生殖地を求める活動を手堅く整理する。そしてそれを元に、それまでの博物学とは違う第四紀(100万年前から今まで)学としての自然史を日本に打ち立てた人である。そしてその蝶のコレクションこそが自然史の普及教育に励んだ著者の、自然史観を象徴する転じである。逆に、本書はその新たに移転する博物館のディスプレーを考えるために書かれたということが解説にも書いてある。そして「博物館の展示を全面更新する予算がいつまでたってもつかないので、幸か不幸か今でもその展示を見ることができる

もしかすると、30年前に出版された本書は、もはや「歴史的な意義」というのしかない本かもしれない。だけどある人が誠実になにかに取り組んでいたことへの証明というのははっきり残ったり、彼の意図しない読まれ方=彼のディスプレーを観て育った人の戯言があったりする。

私にとって自然史博物館というものはそういうものであったのだが、実はこれは結構革命的な博物館であり、母が驚いて当たり前のある意味、身近なグレイトネスだった。そして私はそれをそれと知らず戯れに浪費しただけの童だった。そして世界全般について他人に誇れるだけの知識が無い限り、永遠に童の視線でしか世界を見れないと思うと少し悲しくなる。
posted by 白紙状態 at 01:49| ソウル | Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

「半分の月がのぼる空」:この世に残ると言うことを、伊勢に残るということを、意思を残すと言うことを…

主人公は、高校生。閉塞感の漂う三重県の伊勢市に住む、ごく普通の高校生。

面白おかしげな友人たちもいるし、ひと癖もふた癖もありそうな心優しい大人たちに囲まれている。彼は裕福な家の子供でもなく、むしろ貧しいほうで、いつかは東京に進学しようと思うけど、そんなに前途有望というわけでも努力の人というわけでもない。そして彼はある日、心を開かない病弱な美少女に恋をする。これはそういうありふれたラブストーリ。

病弱である少女は、生を否定し、そのまま死に逝くことを願う。
漠然な夢をみる少年は、大学は伊勢を出て上京することを希望する。

その二人が恋をする。そして少女は生を受け入れ、少年は彼女とともに伊勢で生きることを決心する。不器用な物語だ。主人公の若干気取った「十代感」丸出しの一人称や、ありふれた記号的な登場人物たちは、いわゆるライトノベル系の典型であり、だからこれを優れた物語というつもりも無い。だけどそういう形式でしか語れない物語があると私は思う。無論、私は、キャリアウーマン(女性総合職)の話はドラマかマンガでしかできないと思い込んでいたのだが…ご存知の通り、今度の芥川賞作品「沖で待つ」が女性総合職の物語だった。

全6巻のうち、物語は5巻で終わり、6巻は後日談である。作者によると
限りある、終わりの見えている人生にどう向かい合っていくかを書いてみたかった。覚悟に至る日々を書いてみたかった。死ぬことではなく、生きることを書いてみたかった。
(略)いつの時代にも必ず書かれる、ありふれた青春小説でしかない。あえて繰り返します。この六巻は、ただの後日談です。十八歳になった男の子と女の子の、平凡な日常が描かれているだけです。そしてこれが、半分の月という物語をスタートさせるとき、僕が必ず書こうと思っていた「ゴール」です。
ということだ。そう、この物語は、平凡と生と日常を肯定するためのものがたりである。

普通、闘病モノでは、生きることを肯定&恋愛の成立か、もしくは死で終わる場合が多い。それは「閉じられた」世界の出来事である。だけど「半分の月がのぼる空」は、そうではない。もっと広い「開かれた世界」に対する肯定。病弱なヒロインが生きることを単に肯定するのではなく、もっと広い、たとえばこの世界自体を主人公と二人で肯定するまでの物語のように思える。

…無論、上京をやめさせるほどの運命の女の子なんて、それこそ夢物語でフィクション的なことかもしれない。だけど、それこそが小説の効用なのだろう。

なんだか支離滅裂な話になってしまった。結局、この感覚を理解するためには、読んでみるしかないだろう。そして里香(ヒロイン)に萌えるしかないだろう。
posted by 白紙状態 at 00:48| ソウル ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

「ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝」:ケチャップの皇帝萌え

まず本書は三つの意味で驚かせてくれる。まずは、バーナンキがFRB議長に指名されてから一ヵ月半で書き上げられたこと、帯に「日銀はケチャップを買え!」と赤い文字で書いてあること、最後にバーナンキってカッコイイけどハゲ気味だということ。

そして本書は、三つの意味で役に立つ。まず、現在進行形のマクロ経済の議論に加わるための基礎理論を丁寧に説明してもらえること、バーナンキという学者の研究をおさらいしてもらうこと、そして最後にどうやら日銀はケチャップを買うしかないと説得されること。

たしかに日銀はケチャップを買うべきだ。日銀はケチャップを買ったり売ったりしながらインフレーションをコントロールすべきであり、超長期的なデフレーション下の日本では、インフレーションを起こすことが重要である。そして日銀はハインツのケチャップではなく、もっと日本のケチャップを買うべきだ。結局、公共事業とか商品券ばら撒きとかと同じようにケインジアン的総需要(=GDP)の不足を補うためにインフレターゲッティングは成される。

だけどアメリカやEUなどの「なだらかなインフレ状態」にある国々がインフレターゲッティングを選ぶことと日本という稀有な「継続的デフレーション」の国がインフレターゲッティングを選ぶことではまるで意味が違うのではないかと私には思える。「なだらかなインフレ状態」からインフレターゲッティングに突入するのは、ある意味、庭園に元々ある木々の成長をコントロールして、手入れして、熊とか犬模様の木々を造りたいと思うことで、「継続的デフレーション」という状況下でのインフレターゲッティングは、森の木々をまず刈って、それから庭園を造ることからはじめるように聞こえる。そして私は、各個のインフレターゲッティングには賛成するが、デフレーション脱却のためのインフレターゲッティング(デフレ脱却)とその後のインフレターゲッティングは別物として扱われるべきであるような気がする。

無論、デフレーションは消費意欲を沈ませ、現金への信仰を深めるだけで経済が回らない原因になること自体が問題だ(そもそもそんな自転車操業みたいな資本主義がいけないという話になりかねないけど、まぁそれはエロとかグロとかが好きなフランスのバなんとかというおっさんに任せることにしよう)。

だからインフレターゲッティングを日本で実施するしかない理由は一つで十分なはず。インフレターゲッティングの一般的な効用を肯定するわけではないが、デフレ脱却が必要だという意味では、インフレを目標とする(ターゲッティング)派に私も属する。

デフレーションのせいで実質金利は(景気が加熱しているわけでもないのに)意味も無く高くなるばかりだが、名目金利をマイナス(借りれば借りるほどお金をあげる)にしたらモラルハザード、すなわち制度の意図せざる用途ができ得る。なので実質金利を下げる残された唯一の方法は、いったん安定したインフレを起こして名目金利をプラスに転化させた後に、デフレ期待のために冷え込んだ消費をインフレ期待を利用して促進させて、実質金利を下げる圧力源とする。金利が上がっているのに金利が下がるというシチュエーションを理解させるのがちょっと難しい。そしてインフレ目標を達成できない場合は、「ジャンクばかりいる日銀」(byバーナンキ)の市場調停力が無いと思われるor無いことがバレルのが問題かな?少なくともゼロ金利などという自縛的なシチュエーションを肯定できる日銀ってバカじゃないのか?という面では、ベン・ケチャップの皇帝・バーナンキさま萌えである。

だから最近、日本の新聞にちょくちょくでる「デフレのせいで日本人の金利所得はこんなに減ったのですよ」という論は実に簡潔で、インフレターゲッティングなしでもデフレ退治のための共有された理解ができあげることができそうだ。その場合、実質的にはインフレが公共のターゲット(目標)になることは十分ありえる。無論、その場合は、中央銀行の独立性など世論の前で踏みにじられることになるのだが。無論、このコンボが実際に成りたつのかはまた別の問題だけど、延々と続くデフレというおバカなシチュエーションよりはずっとましなはずだと私には思える。

そして思うに、この本は、バーナンキ萌え成分が足りないね。(断言)

さて、ではなぜ素人の私がこの本を買うことになったのかについて最後に書こう。まず、バーナンキ就任のニュース(「ヘリから金をばら撒け」発言に注目していた)を見てた母にインフレターゲッティングと90年代末の日本の商品券ばら撒きと何が違うのかと聞かれたとき、一応答えたえることはできたのだが、もうちょっと理論的な面からこの問題を知る必要性を感じたのと、本書の著者である田中秀臣が「世界で最初のバーナンキ本である」と書いているからだった。だから日本旅行の折に本書を買った。そしてまた下らぬものを買って来たと母に叱られた。まったく、世の中というものはうまくいくことが少ないのだ。それは経済学の世界でも、私の部屋の増え続ける本たちとの戦いでも、正しきことが成されることは少ないし、正しいことが正しい結果を導くこともまた少ない。というか、ジャンクだらけの日銀などといっている人(この場合は、著者の田中)が、日銀にインフレターゲッティングをやれというのはちょっとおかしいね。

日銀が公約を守る意思と能力が無いと思っている人たちが、日銀がバカ正直に公約を守ることが最低限の必要条件である理論を打ち出すってこと自体が矛盾じゃないのかな?日銀が公約を守らないor守れないと分かった場合は、ハイパーインフレがおき得る(可能性として)ことは否定できないはずなのだが…。




追記:田中秀臣という経済学者(のブログ)をなぜ知ったかと言うと、もちろん彼の冬ソナ論経由であったけどね。
posted by 白紙状態 at 02:40| ソウル 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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