2006年03月03日

「半分の月がのぼる空」:この世に残ると言うことを、伊勢に残るということを、意思を残すと言うことを…

主人公は、高校生。閉塞感の漂う三重県の伊勢市に住む、ごく普通の高校生。

面白おかしげな友人たちもいるし、ひと癖もふた癖もありそうな心優しい大人たちに囲まれている。彼は裕福な家の子供でもなく、むしろ貧しいほうで、いつかは東京に進学しようと思うけど、そんなに前途有望というわけでも努力の人というわけでもない。そして彼はある日、心を開かない病弱な美少女に恋をする。これはそういうありふれたラブストーリ。

病弱である少女は、生を否定し、そのまま死に逝くことを願う。
漠然な夢をみる少年は、大学は伊勢を出て上京することを希望する。

その二人が恋をする。そして少女は生を受け入れ、少年は彼女とともに伊勢で生きることを決心する。不器用な物語だ。主人公の若干気取った「十代感」丸出しの一人称や、ありふれた記号的な登場人物たちは、いわゆるライトノベル系の典型であり、だからこれを優れた物語というつもりも無い。だけどそういう形式でしか語れない物語があると私は思う。無論、私は、キャリアウーマン(女性総合職)の話はドラマかマンガでしかできないと思い込んでいたのだが…ご存知の通り、今度の芥川賞作品「沖で待つ」が女性総合職の物語だった。

全6巻のうち、物語は5巻で終わり、6巻は後日談である。作者によると
限りある、終わりの見えている人生にどう向かい合っていくかを書いてみたかった。覚悟に至る日々を書いてみたかった。死ぬことではなく、生きることを書いてみたかった。
(略)いつの時代にも必ず書かれる、ありふれた青春小説でしかない。あえて繰り返します。この六巻は、ただの後日談です。十八歳になった男の子と女の子の、平凡な日常が描かれているだけです。そしてこれが、半分の月という物語をスタートさせるとき、僕が必ず書こうと思っていた「ゴール」です。
ということだ。そう、この物語は、平凡と生と日常を肯定するためのものがたりである。

普通、闘病モノでは、生きることを肯定&恋愛の成立か、もしくは死で終わる場合が多い。それは「閉じられた」世界の出来事である。だけど「半分の月がのぼる空」は、そうではない。もっと広い「開かれた世界」に対する肯定。病弱なヒロインが生きることを単に肯定するのではなく、もっと広い、たとえばこの世界自体を主人公と二人で肯定するまでの物語のように思える。

…無論、上京をやめさせるほどの運命の女の子なんて、それこそ夢物語でフィクション的なことかもしれない。だけど、それこそが小説の効用なのだろう。

なんだか支離滅裂な話になってしまった。結局、この感覚を理解するためには、読んでみるしかないだろう。そして里香(ヒロイン)に萌えるしかないだろう。
posted by 白紙状態 at 00:48| ソウル ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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