2005年12月10日

インド植民地官僚:インドとか、植民地とか、官僚とかの話

多くの植民地インド(1858年から1947年まで)を扱った本では、必ずといってもいいほど、英国政府(インド省および植民地官僚組織)のエリート官僚たちによる少数支配についてある程度いうことになる。たとえば、名著「創られた伝統」(Eric Hobsbawm著・編)の第四章、Bernard S. Cohnによって書かれたRepresenting Authority in Victorian India(ヴィクトリア朝インドにおける権威の表象)という文章の出だしもまた、その典型(テンプレート)に沿ったものになる。

「19世紀中盤、インド植民地社会の文化的特徴は、一言で言えば、少数の外来集団(イギリス人)と彼らの効率的な統制下に置かれた2.5億人のインド人の間のくっきりとした乖離である」そしてCohnは、その支配の文化・儀礼的な面の歴史をいろんな文献を参照しながら分析し、いかに多くの伝統が作られて、インド人の無意識レベルで支配を受け入れさせたのか、という問題にたいして、文化(この場合はシステム全般の意味)的次元において特定の理念と仮定を正当化することによって権威を打ち立てていったのか説明する。たとえばデリーで行われた帝国会議では、1200人のヨーロッパ人と8万4千人のインド人が参加した。逆にいうならば1200人のエリートイギリス人を以ってすればインドのリーダーたちとその配下の8万4千人につりあうと思うことができたということだ。ちなみに本書「インド植民地官僚」で扱うインド高級文官なる官僚組織は1000人ほどだったという。

そして本書は、その「少数で特異な一外来集団がいかにして2.5億人を統制したのか」という問題を文化的な側面ではなく、その文化を作った超人(エリートたち)の人間としての姿を統計資料などを用いながら丹念に描く。これは「女王陛下の雇われCxOたち」ともいえる「官僚・エリートたち」がいかなる人間であり、彼らはいかに大植民地を統べる権力を与えられたかという問題に答える。ある意味、成功した組織の分析ではあるが、しかし前回評した、「ホンダ常勝のSED会議」とは違い、具体的な仕事運びや数字的な分析がなされている面において大きく違う。(ちなみに本書の著者の名前は本田毅彦である)

前記の、Cohnの論文に戻ると、「自ずからの戦争能力を放棄するかわりに藩国の国境とその継承権を東インド会社が保障」する契約が交わされた。それは宇宙論的な論理をもつムガル帝国の支配が、極めて実用的なイギリスの思想に置き換わるための文化的な装置である。もちろんイギリス人たちは形式において、結構インド・ムガル的な要素を取り入れたのも事実である。同時に、イギリス人も実用的ではない文化儀礼を作り出したのはたしかだ。たとえば、インド人はヨーロッパ風の服を着ていない場合、イギリス人の部屋では靴をはいてはいけない条例などもあった。だけどやはりムガル・インドと植民地インドの間には大きな差があり、その差を象徴するのが植民地インドの官僚たちである。

インド植民地官僚」はまず、インドと植民地と官僚の関係について述べる。インド統治を本国から操作するインド省は、議会の直轄下におかれインド担当大臣は大蔵大臣、外務大臣などと同程度の扱いをうけたという。インドの現地では、「インド副王兼総督」の下に文武両部門の官僚たちがいて、そのうちの「インド高等文官(Indian Civil Servant)」たちが本書の扱う対象となる。常に1000人前後の少数のエリートたちで構成されたインド高等文官は、その権威と難関の審査・試験を通過したことから少数精鋭のエリート集団として知られることになる。

最近読んだ、19世紀序盤の話であるボライソーシリーズの19巻「最後の勝利者」では、東インド会社出身の若者がかなり荒くれもので海軍にふさわしくないことをやらかす描写があるが、女王の王冠に輝く宝石になった後のインドは息苦しい本国を離れ、自分の力量を最大に発揮できる憧れの場所になった。ちなみにそういった高貴で異国的で自由なインドの様相を描き当代随一の作家にのし上がったのがジャングルブックの原作者キプリングである。そして異国で力量を発揮したかったのは、「教育を受けた中産階級」(Educated Middle Class)という弁護士、聖職者、内科医、教授などの子息だった。高等文官は、その選抜試験を通る必要があった。ある意味、それは身分制度にこだわらない、知的能力に根拠をおく近代的な官僚制度の始まりであるといえる。その理念は、古典的な知識をもつジェネラリストの選抜で、時には、「古典学」の素養をびっしりと仕込まれたオックスブリッジ(Oxford+Cambridge)出身者を優待するために試験制度を変え、インドでは現地出身の弁護士にやられる裁判官などといったケースを量産することになった。ちなみにその高等文官の中にはインド人も含まれている。

著者はインド高等文官採用試験の合格者たちを統計的に分析し、彼らの出身背景や彼らの出身地域について執拗に語る。ちなみに49%の合格者がオックスフォードで、30%がケンブリッジ出身だったそうだ。それから高等文官試験専門の家庭教師−詰め込み屋−なるものの存在も注目されている。採用試験合格者たちはイギリス国内の大学で1〜2年間の研修を受けることが義務とされており、そのなかでもオックスフォードのベイリオル・カレッジが人気だった。ベイリオル「カレッジの学長であった古典学者ベンジャミン・ジョウェットが、オックスフォードでの古典学教育と、帝国の支配を委ねられた典型的なエリート集団であるインド高等文官制度とを結びつけることについて、きわめて熱心であったことが、その誘引だった」とのこと。ベイリオル・カレッジなら若き日のピーター・ウィムジー(推理小説の中の探偵)のすごした場所だった。感慨深いものである。このことからわれわれは高等文官制度が「試験」と「知性」への信仰に基づくものだと知ることができる。そのほかには彼らの恋愛模様や「ジェントルマン資本主義」の話もある。ちなみに恋愛のパートでは、それこそ古典的な一目惚れや幼馴染との結婚もあったりして、そっち系(幼馴染萌え)の人たちからは貴重がられる文献の紹介もある。

ちなみに天下りと昇進スピードについての論考もあり、官僚組織というものはある意味天下りを前提としたものであるということがわかる。高等文官制度においては、あるところまでは年功序列でいくが、それ以降は能力主義らしい。それからインド植民地官僚の下落の時代について語られる。インド自治運動が活発になってくるにつれ、イギリス本国から派遣された官僚の地位は低くなるばかりだった。そこで彼らがどう対処したか、リーダシップについて考える必要のあるかたにはインサイトを与えてくれるいいチャンスになるかもしれない内容だと思う。大西洋航路発見後のベネチアなどがそうであるように、個人がいくらがんばってもしょうがない場合が歴史上にはいくつもあった。そのときはうまく逃げることが大事である。大局観を持たない奮闘はただのリソースの無駄使いだといわれても仕方がないのだから。戦略的に撤退することこそが最善である場合、退却戦をどう繰り広げるかについての論考は少ない。そして本書の二部はそんな退却戦のやりかたを教えてくれる。


Further Reading
1.創られた伝統:効率的な支配のためには伝統すら作り出せるのが人間なのですね。
2.学寮祭の夜:オックスフォードが舞台の名作ミステリー、当時のリベラル風の貴族や教育された中産階級の息遣いをかんじることができます。
3.大英帝国の大事典作り:同じ著者による同じほどの傑作、のはず…11月に出たのでまだ読んでいません。
posted by 白紙状態 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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