2006年01月09日

バトル・ロワイヤル:実は私…

文芸の豊穣なる歴史には無数の「処女作が最高傑作」だった作家がいるし、その中には「処女作だけ出版して、沈黙した作家なので処女作が最高傑作になるしかない作家」というのもある。無論、そういう「処女作に続く作品を出さなかった作家」のうちの多くは質の低さが理由で続編出版を拒否されたり、処女作の出版後に死去したりする不可抗力型が多いのだが、「バトル・ロワイヤル」の高見広春は処女作のヒットの後、沈黙した形になった一発屋である。一応、続編である「バトル・ロワイアル II 鎮魂歌」にもかかわってはいるが、おおよそ高見の作品ではないとの評判である(形式を則って、精神を無視する態になっている)

私が「バトル・ロワイヤル」を手に取ったのは、映画のクランクインの前後だったと思う。少なくとも公開前後の例の国会議員を巻き添えにした大騒動の結構前だったことは確かで、例の騒動をネットで見ながら「バトル・ロワイヤル」をつまみ読みしていたのを覚えている。小説のほうはあまり好きではなかったりする。さて、「バトル・ロワイヤル」の話をしよう。

全体主義独裁政権下の日本。小説では、毎年2000人の犠牲者が出る殺し合いのフェスティバル。唯一の徴兵制。映画では増加する少年犯罪におびえて大人たちが作った戒めの狂騒。これ、リアリティはまったくなし。全体主義的社会において、刑罰を重くしたら非行青少年が学校で犯罪犯せるはずないのに、なぜかそういう当たり前のことが完璧に無視されている。全体主義社会において、反秩序的分子はその存在自体が秩序を重んじる全体主義に反するのでアンダーグラウンドにもぐるしかない。逆にこういう反秩序・反制度的分子が大量に発生し体制側がそれをコントロールできない場合、政権はいつ滅んでもおかしくはない。

全体主義社会においての治安維持問題は、ロックを許す、許さないの問題ではないのだ。「プログラム」を続けられるような全体主義的政権下で非行青少年が学校の先生を攻撃する事件が表面化するはずがない。小説版にもまったく全体主義政権下とは思えない思考(制度が思考を規定するという仮説に基づいている)が存在するが、こういうリアリティなし(それが悪いというわけではない)の作品は往々にして、なにか中心的な主題・題材にそのリアリティの無さの理由がある。繰り返すなら、主題・題材を描くためにリアリティを削るしかなかった場合が結構ある、ということだ。

本書冒頭の、「3年B組金八先生」、スプリングスティーン(ボス)、佐野元春、ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」からの引用は、これが極めて青春原理主義の作品であることを教えてくれる(わからなかったら金八先生を見なさい)。青春なる時間における自意識と抗いの煌々さをいびつなほど極大化して肯定して賛美して描き倒す方法論として、戯画化された全体主義日本社会という設定は極めて正しい。結局、ありふれたたとえ方をするならば圧力があってこそダイアモンドが出来上がるので、主人公たちの「青春の抗い」を見出すためには極めて強い圧力を入れる必要がある。(ここら辺がセカイ系のマンガ・ライトノベルが往々にして「ぼくたち」と「セカイの危機」をダイレクトにつなぐ理由だと思われる)逆に言うと、「青春の自意識と抗い」なる概念は今日、こういった戯画化されることでしか賛美できないことになるのかもしれない。

作者のインタビューなどを読んだことは無いけどおそらく、「青春モノが書きたい」=>「人が死ぬのが劇的で簡単に物語を作れる」=>「それならチュウボウを大量虐殺する!」=>「それじゃチュウボウの殺し合いの物語を作ろう」=>「それが可能な社会はやはり全体主義的社会だろう」=>「それじゃ某北の国のパロディをしてみよう」のような考えがあったと思われる。無論、「金八先生のブラックパロディ」から始まった可能性も否定できない。

だから単に同じキャラクターを使って、同じ世界をもっと掘り下げるという面において、IIは正しいのかもしれないけど、やはりクオリティの低さと題材・主題の欠如を補えるものではなかった。

本書はとにかく「学園モノの定番キャラクター」を示すことに終始している。たとえば運動のうまいさわやか少年。美人で冷たい敵役。オタク。謎の転校生。典型的なヒロイン役。などなど。こういった変人・奇人・おどおどするやさしい女子すらも、個性となる。

「バトル・ロワイヤル」から影響を受けてはいないだろうけど、この系譜に舞城王太郎(戯画化された世界の中で過激に家族愛と青春賛歌)や「魔法先生ネギま!」(クラスの全員に個性(?)をあたえバトル・ロワイヤル状態)があったりする。

で、なんで映画のほうは好きなのかというと映画のヒロインの前田ちゃんがかわいいから…という理由に過ぎない。あのころは私も若かった。ドラゴン・アッシュのこの映画のエンディングの曲が好きで、時々、コピーしたりもした。だから最後の気恥ずかしいまでの逃避行が気に入ってしまった。作者は、「バトル・ロワイヤル」のコミックスも終わったことだし、今度は開き直ってファンタジーとかミステリーを書いてみたらどうだろうか?とおもってみる。

それとこの本、なぜかうちの大学の図書館でも人気で、時々、予約図書の棚に並んでいたりした。(無論、日本語版原書である)
posted by 白紙状態 at 14:57| ソウル | Comment(0) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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