2006年01月16日

言壺:あまり面白くない突っ込みを少々

物語の形式が複雑・複合化し、「ワーカム」という「マルチメディア」風のワープロの進化形みたいなものなしでは物語を紡げない近未来。或る作家が突然、「私を生んだのは姉だった。姉は私をかわいがってくれた。姉にとって私は大切な息子であり、ただ一人の弟だった」という文章を思いつき、「ワーカム」に入力しようとしたところ、「ワーカム」のチェック機能(英文ワープロの文法チェック=F7みたいなもの)に入力を拒まれた。意味が通らないという。「ワーカム」はいろんな代案をだして文章「姉=母」を拒む。そして世界は揺らぎ始める…という表題作が印象的な神林長平の短編集。ちなみに「言壺」は、第16回日本SF大賞受賞作品。

私は神林の愛読者なのだが、二つの面からこの作品が非常に気に入らない。

まず、「ワーカム」という古臭いマルチメディア&インタラクション主義に基づく機械が鬱陶しい。まるでCD-Romが最初に出てきた頃もてはやされたハイパーテクストなり、動画+文章なり、サイベリアなりの「映画+小説」、「音楽の出る小説」のような古臭い意匠は、もういい。ダサすぎる。その進化形であるはずの(いわゆる)ビジュアルノベルの愛好者である私がいうのだから間違いない。

でも「ワーカム」的な叙述支援機能はこれからも利便さを増すだろう。(いまでもブログペットやドクターバロウズなどの原始的叙述支援ソフトがあったりする)

二つ目は、「私を生んだのは姉だった」という文章がなぜ「非論理的」で「言語空間を揺らす」のか私にはわからない。通常の社会では認められていないが、父の再婚相手が姉だということは物理的には可能である。動物の世界ならもっとありえるだろう。

シャチが話者の小説で「私は生まれてこの方ずっと海の中で、海の水を飲みながら暮らしてきた」といえないなんてシャレにもならないじゃないか。これくらいのことで混乱を起こしそうなソフトを売るのは背任行為ではないのか?言葉で表わすことのできるすべては論理的である、という考え方を哲学から引く必要もない。一ビット言語しか表わせないソフトを日本語(2ビット)のワープロとして売り出すようなバカっぷりではないか?

神林は「現実と非現実の揺らぎ」が持ちネタ(繰り返すモチーフ)なのだが、この作品はあまりにも考えなしに自分の持ちネタを繰り返しているだけではないのか?


追記:昨年は一冊も新作を出していないのだが…なんかあったのかな?神林くん。


Further Reading:
1.「戦闘妖精・雪風(改) 」:神林入門にはうってつけの作品。
2.「小指の先の天使」:同じく言葉・現実の問題についての短編集。
3.「ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951」:現実とか非現実とか論理とか言語についてSFチックに考えるとき、この方を避けては通れないでしょう。
posted by 白紙状態 at 17:09| ソウル 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
失礼いたします
Posted by エロ at 2008年01月25日 23:18
押し後残します
Posted by 人妻 at 2008年01月26日 15:37
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