2005年11月24日

対エスキモー戦開戦前夜:あるいはあの日、私は三回も風呂を沸かした。

「生きる人間の条件は同情心をもてるか否かということだ」 -ショーペンハウエル
「つ、つぎの戦争はエスキモーたちと闘う」-フランクリン


多分、これは水曜日の夜から金曜日の深夜までの物語だろう。「これ」というのは、サリンジャーの「対エスキモー戦の前夜」ではなく、私のごく私的な事情のことであり、許される限りフィクションを交えた、日常の報告である。

木枯らしに木の葉が擦れる音のようなものが聞こえ、私は深い連想作業から覚醒した。霰のような、雪のような、白い何かが強い摩擦音とともに降ってくる。ここ数日、特に乾燥していた草むらに当たり、はじけたようだ。薄い雲で覆われ、明るい黒(というのが実際にある)一色の空を背景に、霰、もしくは雪の礫、もしくは雪の核とでもいえる物体が三十秒ほど降ってきた。

私は、それまでバス停の前で、終わりもなく、始まりもなく、経過だけがとまることなく、ただ進み行く思考の流れに心を任せていた。まるで浅い夢のような、現と夢の境界線のような、まどろみの時間、それをまどろみと実感することもなく、流れる、否、ただ底にあって、そこにない、精神が淀み、ただ澱み。ただバスを待っていた。することも、考えるべき課題もなく、ただ突っ立て、過ぎ行く時間を過ぎ行く時間と認めていた。それまで、幾千もの夢幻や概念や他愛無い想い出の欠片が思考の水面に浮かび、現れては、消え、時間ばかりが無意義に過ぎていった。いったいどこからが想い出で、どこからが夢想なのだろうか。それを疑問と思わない、ただの耄碌な時間が、ただ波のように、そう波が打っては返し、果てていくことのない時間のように、しかし流れるままの考えに心をゆだねるのは決して悪いものではなく、時間が過ぎるのも忘れて物思いにふけることも時々…。

そんな時間だった。バスを待っていた。だけど雪が私の心を乱した。ただ30秒ほどの短い降雪だったが、私の意識は覚醒され、覚醒したままで、ただ、バスが来る前の五分間、ただ寒さの中で、より透明になった秋の空と、空に浮かぶ煌々とした月明かりだけを見ていた。震えることも忘れ、夕飯のメニューも忘れ、幸せすらも入り込む隙のない、ただの惚けた平静を保った。結局、覚醒したところで、時々、通り過ぎる車の音と冷たい空気以外の何もない。

やがてバスが来て、私は取り残された。多分、水曜日の夜のことだったと覚えている。土曜日の「対エスキモー戦開戦前夜」へと、私は、そして大学は、向かっていた。

「エスキモー」と彼らを呼ぶことは、無論、正しいことではない。ここで正しくないと言うことはJustではないということと、Correctではないということの両方である。無論、彼らの大学は、アメリカの北のほうにあるが、アラスカにあるわけでもなく、湖から運んで来られる水分によって十月の後半から大雪が降ったりしてもおかしくはない場所にはあるが、彼らが自ら「エスキモー」を名乗っているわけでもなく、「エスキモー」を崇拝しているわけでもなく、「エスキモー」に特別関係のあるわけでもない。「エスキモーは差別語か?」という論争に巻き込まれたくはないが、一応、現代米国社会において、「エスキモー」はPolitically Correctな言葉でもない。ただ、私の心の中で、彼らは「エスキモー」と名づけられているのだ。そう、それだけのことである。

「エスキモー」たちは私の住んでいる州のすぐ北のほうにある州の州立大学のやつらだ。やつらは、厭らしいことながら、私たちの大学より全国的な知名度が高い。各種ランキングでも私たちより高い場所にいるし、有名人だってあっちのほうがおおい。一応、こちらとしてみれば中部の両雄というつもりなのだが、世間的には独走するトップの「エスキモー」と、それを追いかける有象無象の魑魅魍魎たちのほうが正しいらしい。しかしながらわが校が彼らよりフットボールがうまいのは事実である。時々、負けたりもするが。大学フットボールのシーズンは秋の3ヶ月と短く、学生の身分と運動量からして、毎週末、土曜日にしかできないので、中部リーグ、所為TOP10は、毎年、同じ週末に同じ相手と一回だけ対戦することになる。たとえば、「エスキモー」とわが校は毎年、最後の試合をする。この試合に勝つほうが次の一年を通して威張れるし、こっちも「エスキモー」も30年代から続く、最終戦ということでフットボールでのライバル意識もあるし、TOP10の両雄である二校のうち、最終戦で勝ったほうが4つあるNational Championshipのうちのひとつに進めることになる確率が高いので、最終戦に向けての両校の雰囲気は盛り上がる。いや、「エスキモー」のことなんて理解できないので、そっちも盛り上げっていることにしてくれ、といったほうが正しいことかもしれないが、そんなことはどうでもいい。どうせ次の闘いは「対エスキモー戦争」になるはずだし、それが終われば負け犬=奴らなんてギャフンともいえないのだから、どうせ。

さて、話は変わるが、J.D.サリンジャーといえば、「ライ麦畑でつかまえて」という長編で有名だが、実は、私が思うに、長編はあまり得意ではない、というか、隠居にいたるまでの比較的短い作家生活(このことは後で述べる)の中で、彼が書いた、唯一の長編が「ライ麦畑でつかまえて」だったから仕方もないが、彼は短編のほうにその才能を持っていた。その中でも、「ナイン・ストーリーズ」、その名のとおり、9つの短編を収めた代表的(ベスト盤的といってもいい)短編集は、その収録作一つ一つのクオリティが高いことで有名であり、「バナナフィッシュにうってつけの日」や「対エスキモー戦争の前夜」や「笑い男」や「エズミに捧ぐ」などの名短編は20世紀後半の至る場所で引用されている。アニメ・漫画業界に限っても、「バナナフィッシュにうってつけの日」はそのまま漫画「バナナフィッシュ」のタイトルとメインコンセプトに、「笑い男」は、「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」のいたるところにその影響力を持っている。

「対エスキモー戦争の前夜」がどういう話であるかを簡単に述べよう。2次大戦直後のニューヨーク、少女Aはある事情があって、お金持ちの友人Bのアパートに訪れる。そこで、彼女は何かの理由で神経をやられたっぽいBの兄フランクリンに会う。彼は戦争中は、中部某州(本文を読めばわかるけど、一応、この州名を隠すことにする)で飛行機工場で働いていたという。彼はすごく不器用な人間で、悪い人間ではないし、狂ったわけでもないのだが、話のピントを合わせることができない。そして彼はふとこんなことをいう。「We're gonna fight the Eskimos next. Know that? ...This time all the old guys're gonna go. Guys around sixty」(「つ、次はエスキモーたちと闘うんだ、知ってたかい?…今度は60歳以上の爺さんたちが戦う番だ」)とまるで自分も戦場に行ってきたかのようなことを言う。いや、多分、戦争に行かなかったのが負い目になっているだけだと思うのだが…それは別の話。

さて、この文章を書いている私が彼(誰かとは聞かないでおくれ、野暮なことは、今だけはいらないから)に好意を抱いていることは明白である。彼は私のいる「中部某州」で、「20代前半」をすごし、「精神の若干いかれた」やつだった。不器用な面も私と同じで、こんなにシンパシーを感じることのできる人間がそういない。

もう一度、うちらの憎き「エスキモー」たちのことについてのこと。

「対エスキモー戦の前夜」-その年がアウェイの場合は金曜日にはチームと応援団が「エスキモー」のホームグラウンドに移動しているので、正確に言うと木曜日の深夜になる-に学校の中央にある小さな湖にダイブ(Jumpというのが正しいが)するのが誰も主催したわけでなく、誰に命じられたわけでもない伝統行事である。言い伝えによると、この行事は「対エスキモー戦」がシーズンの目玉になる前の1902年ごろから始まったというので、もう100年以上の伝統を誇る立派なお祭りだ。祭りとして何かを投げ入れるのは、1895年に最初の記録があるとのことなので、この行事はもう3世紀にわたるわが校の伝統ともいえる。無論、伝統もときによっては変わる。全盛期には、いわゆる「ファントム・バンド」なる即席のマーチングバンドが校外の大通りを占拠して解放区っぽいものを作り上げたりもした。それが禁じられ、2002年の悪夢があったのだが(私自身は例のことを全然悪夢とは思っていないのだが)、それもまた別の話になる。学校側も正直、伝統行事としてのダイブを煽ったりしている。まぁ、なんだあのポルトガルの3F(Football, Fatima, Fado)政策みたいなことをやっているのが見え見えで、学生の中でも一部のPolitically Fxxxing CorrectなFxx Axxたちは、そのDxxx Mxxthをぐちょぐちょさせながらくだらない、「学校側はエスキモーたちを嫌悪する生徒側の感情を煽ってストレスを解消させようという正しくない…」なんていう非常につまらない意見を学生新聞(無料)で述べたりするが、それも含めての11月の狂騒ということなので、まぁ、どうでもいい。「エスキモー」相手に同情心なんていらない。どうせ戯れの嫌悪だ。あっちにも友人はいる。

今まで、私は飛び込んだことがなかった。これで3回目だったけど、過去の2回は、傍観者のような立場だった。煽って、煽って、ただ煽って…、という立場で、一人暮らしのくせにカゼにでもなったらどうしようという考えがあった。だけど今年の私は、私は悩んだ末、飛び込むことにした。飛び込んだ。ここがロードスでないとしても、跳ぶことにした。群衆の中、轟音の中、夜のキャンパスで、水の飛ぶ音だけが妙にくっきりと聞こえ、次の瞬間、決心よりも先に、体が飛び込んだ。無論、すぐ出てきた。そして、凍えながら、タオルに包まれ、空の漆黒さを理解できないことを嘆きながら、ただ足踏みをしていた。どうしても止めることのできない、この人間的な震え。表面的な同情心などなくとも、自覚がなくとも、私はただ震えている。人間的な根本(ファンダメンタル)をやめることができない。フィードバック回路に沿った機械的反応だと言うかもしれないが、知れないが、これこそ正真正銘の人間の根本なのだ。どうしようもない惻隠之心などなくとも、人間はただそれだけで人間でいることができる。それこそが悪夢のような人間性なのだ、と気取ることができるのが、二十台序盤の私たちであり、その気取り、無茶な示度、無意義な努力が私たちの象徴なのだ。なんてくだらない、まるで小説の人物かのような、棒読みのマニフェストを脳みその中だけで、歯はガタガタ震えていたので、舌をかむのが怖く、でダラダラと脈略もなく思い浮かべながら、私は用意されていた暖を取って、友人の車で家に戻った。時計を見たとき、針は、もう12時を過ぎていて、まさしく「対エスキモー戦争の前日」となっていた。

最後に付け加えたいことがある。サリンジャーは今でも生きているが、50年代の中盤から数十年、山の中の小屋にこもって新作を発表するところか既存短編を編んだ短編集を作ることも拒んでいる。スティーブン・キングなどの報告によると、その後も創作自体は続けていて、小屋の金庫には、未発表「生」原稿がどっしりと積まれているそうだ。(なぜキングがそんなことを知っているか、ということは忘れてしまったが)だから私は時々、サリンジャーのことを思い出して、にやりと笑う。そう、にやりと笑う。1919年、私の母方の爺さん-5年ほど前に亡くなった-と同じ年のサリンジャーに未来なんてない。願わくば、彼の死が安らかで、(金庫をぶっ飛ばすほどの)爆発力の無きものでありますように。(笑


追記:試合のほうは接戦の末、終了間際に逆転。わが校が勝った。いちいち付言するのが恥ずかしいほど当たり前、前もって決まっていたも当然な結果なのだが…一応念のため。

追記:ハンガリーのドメインに、サリンジャーの短編集未収録作を集めた(正確に言うと、アメリカの大学生たちの海賊出版物を流用した)サイトがある(らしい)ので、紹介しておこう。http://terebess.hu/english/salinger.htmlがそれらしい。私は決して、このサイトを訪れたり利用したりしたことがありません。

参照文献
ナイン・ストーリーズ」 J.D.サリンジャー
ライ麦畑でつかまえて」 J.D.サリンジャー
サリンジャーをつかまえて」 イアン・ハミルトン
うちの大学の新聞(w
Wikiquote.org
posted by 白紙状態 at 08:36| Comment(2) | TrackBack(0) | Mutter in the Reading Room | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やっぱり飛び込む瞬間はあれこれ逡巡するのではなく勢いが大切なんですね。

それにしても、本稿に限ったことではありませんが、相当のクォリティを保ちながらこれだけの量の文章を、しかも外国語でアウトプットし続けられるとは、改めて脱帽です・・・。
Posted by th4844 at 2005年11月27日 06:22
どうもコメントありがとうございます。

th4844さんのような専門的なものはかけませんが、最近は金融・経済関連の本もちょくちょく読んだりします。

日本語はもう外国語とは思えないほど身近になりました。英語の道はまだ精進するべきなのですが…わたしは生粋の怠けものでありまして…

それと子供のころに学んだ言葉が一番使いやすいというのは、確かです。お子様にはいっぱい日本語を聞かせてあげてください。子供には母国語より大切な言葉などありえないのですから。
Posted by 白紙状態 at 2005年11月27日 10:14
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